木村幸弘のぺっこ「がん」ばるが

肺癌闘病がぺっこでも生存率に貢献できればいいな

いつまで繰り返す無責任自民政治

 ちょうど1年前自民党総裁選挙のさなか、私は自民党政治の無責任さと国民の選択意識の脆弱さが,無責任政治と腐敗政治を繰り返していることを指摘させていただいた。

 今はどうか…昨年の総選挙、今年の参院選挙、いずれも自民党の勝利である。無責任政治の象徴であった安倍元総理は暗殺された。社会のひずみの現れだと私は思った。

 暗殺事件によって再び旧統一教会の問題と自民党中心の政治との癒着が連日大騒ぎだが、さてさて、いつまでこの話題は維持されるだろうか。二階元幹事長は「自民党は何ともない」と本音を語った。何故なら国民はいくら問題が起きても、自民党政治を変えようとしないからだ。全有権者の約25%の支配によって自民党政治は多数を支配し、国民の半数は選挙にも行かないこの社会。

 国民が変えようとしなければ何も変わらない。野党が悪いとよく言うが、議席を与えずに批判する国民やメディアは、いつまで同じ事を繰り返すのか。

 行き場のない,やり場のない憤りや不平や不満、貧困、不平等はさらに広がっている中で、安倍元総理の国葬は勝手に決めて実施されようとしている。

 来年度の軍事費は増額され、一千発のミサイルを増やして敵基地を攻撃する準備をするという報道がある。

 相手は、その倍以上のミサイルを備えているという話があるが、本当に戦争で日本を守るというのなら、相手国が反撃できないほど、一瞬で叩き潰す攻撃力を行使しなければならないが、そのためには核攻撃で一気に敵国を全滅させるしかないという事を、誰も口にしない。戦争は勝つか負けるか。戦争をやるかやらないか究極の二択をごまかしている。

 相手が攻めてこないようにするために軍事力の増強が必要だと自民党諸氏は語る。

 つまり世界最強の軍事力を核兵器も含めて相手国をしのぐ装備をもち、徴兵制による軍隊を整備し、威圧する以外に日本の平和は保たれないということなのか。

 一体何の脅威から日本、国民、領土を守るというのか、相手が軍事力を増強しているから、周辺で訓練を繰り返すから、日本が侵略されそうだから、戦後政治は東側・旧ソ連の冷戦構造の脅威を煽り、東欧諸国の東西冷戦やソ連が崩壊すると、北朝鮮がやばい国だ、拉致問題がけしからんと煽り、今度は中国の発展、国力増強が西側にとって脅威だと、香港、台湾問題を取り上げ、日本にも脅威だと喧伝し、そしてロシアの軍事侵攻だと,また脅威を煽る。

 この間の日本外交は、米国べったりでいわゆる北東アジア諸国との関係改善など、ほとんど政治的には進展せず、民間、経済レベルで利用するだけ利用するという関係しか構築できずにきた。

 内政においてもコロナ感染症対策はもはや自己責任を喚起するだけで、無策に等しい。経済は止めない。感染予防は国民と自治体対応任せ。医療・保健体制は脆弱なままで医師会からは悲鳴が上がるが、そんな政治を後押ししている医師会は何のために自民党をいつも支持しているのか。

 1年分の愚痴を放談させていただきました。まだまだ言い足りないけど。

 でも投げやりではなく、こんな重いを共有している人たちも少なからずいて、非暴力のもと民主主義に基づく闘いは、これからも続きます。

コロナ禍の自民総裁選ニュースにまた国民は怒りを忘れるのか

コロナ禍に菅さんの退陣表明と自民内権力政争に、オリパラが終わってマスコミが馬鹿さわぎで、自民党を宣伝している。

菅政権と与党批判が一転し、いつもの日本の自民党本意の国を挙げてのイベントに、安倍・菅政権9年間の責任をとらない政治姿勢が、違う形で容認されかねない。

つくづく国民の政治意識の脆弱な体質にうんざりする。

国民も選択した政権に対する責任を自覚した健全な民主主義意識を学ぶべきだと思う。

繰り返されるその場そのときしのぎの政権選択が、国際社会の中で三流の政治を生み、政治家の私物化で世襲による、支配が政治を腐敗させている。

国民よ、若者よ自分自身の責任で未来を展望して欲しい。

コロナ禍の近況その1

 しばらくぶりの投稿です。

 一つは、政治活動環境の変化、現在、社民党岩手県連合代表に図らずも就任し、立憲に合流した、自治労日教組グループを中心とした労組系党員が抜けて、厳しい党存続を託された責任の重さを日々感じながら活動しています。

 二つは、昨年12月末の肺癌切除から八ヶ月、最近抗がん剤をまた服用することとなりました。腫瘍マーカーの数値が残念ながらこの二ヶ月上がってきたため、部位は特定できていませんが、PET検査、胃カメラ検診と生検など、来月の診察を待っている状態です。

 三つは、そんな中、コロナワクチン接種(ファイザー)しました。副反応は肩の痛み程度でした。が、今月24日、家内の勤め先で感染者が出ました。

 従って、いよいよ他人事ではない身近な問題として、当然、家内は濃厚接触者の見込み(保健所からの連絡待ち)であり、私も自主隔離をしています。

 うまくやり過ごすことができればいいが、戦々恐々の思いです。

 四つは、コロナ禍と政治不信の極みに、国民は辟易しており、感染拡大と先進国としての基盤を揺るがす医療の危機に不安を寄せる一方で、都会の人流の多さと政権の危機感の欠如という、ギャップと矛盾に、日本社会はこのままでいいんですかと問いたい。

10を迎えた特別の日

10年を迎えた震災津波の日。

私のにとっての10年は、議会中の激しい揺れに見舞われ、待機中に映し出される沿岸部の津波被害、自宅に戻るまでの市街地の喧噪と混乱。自宅に戻り足の踏み場も無いほどの室内に茫然とし、家族とともに夜を車の中で過ごしながら、ラジオやカーテレビからひたすら長い夜に目と耳を集中していた。

 震災から5年後、体に異変が出た。背中の激痛に異常を感じ、胸椎の圧迫骨折と手術、そして肺癌の発症を知り、治療が始まった。

 そして今、がんは体から消えたが体のダメージは決して小さくない中で、震災から10年という節目を迎えて、人生を振り返っている。今年は自分にとっての再スタートであり、震災津波被害からの新たな歴史の一歩の年である。

術後の経過

切除手術の成功によって、私自身の癌はとりあえずいなくなりました。が、今後は再発防止のための観察治療をしっかりとしていかなければなりません。

入院期間と退院後にはしばらく下痢が続き、体重が約9キロほど減りました。

今は、抗がん剤も停止し、体調が戻りつつありますが、肺機能の低下のせいか痰の絡みと咳き込みは続き、薬を処方いただいています。

話をしようとすると咳き込みがして会話がうまくとれないときがあります。

また、咳き込みによって嘔吐があったり、またまだじっくりと体調管理が必要です。

肺癌手術を決断

呼吸器外科医の手術可能の判断を受け、12月18日足かけ五年にわたる抗がん剤治療による、経過観察を経てstage4の私が、ついに切除手術を受けました。

オリゴメタシスというまれな状態となっている原発巣の摘出は、肺癌では珍しいケースであり、これまでの骨転移の抑制、他臓器への転移なしとの条件が整う中での判断です。

手術は無事成功しました。右上葉肺癌、約15センチ、その後の生検で癌は死滅し、悪性はなしとの判定がくだされ、切除の意義はあったと説明されました。

摘出腫瘍はサンプルとして提供されました。

5年目のがん治療に転機

四年目の治療を続ける中で、変異しない原発の腫瘍の状態、転移の気配も無く現状の抗がん剤治療だけが、唯一の方法なのかと、主治医に問うてきました。

そして、昨秋具体的に原発の摘出手術が可能か検討するとの動きが示され、呼吸器外科との検討が始まり、一気呵成に摘出への動きが具体的となりました。

外科医の診断で、私のがんは「オリゴメタシス(少数転移)」というまれな状態にあり、サルベージ手術が可能との判断となりました。